南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

人物の評価=その4(価Ⅱ=36)

 評価の対象となる人物の生きた時代や地位や影響力などによって、評価手法も異なりうるわけだが、評価の主体がだれかということも重要な要素である。
 
 たとえば、会社の入社試験で人物を評価するのは採用にかかわる役員や社員である。そこでは、おそらくだれを採用するかどうかの最終的な判断権限は社長あるいはそれに次ぐ役職にある者が持っており
彼らが一定のルールに基づいて決定するはずだ。

 芸術家なら、ある賞の受賞者の決定には、選考委員がいてその中で決定されるだろう。
作品の売れ行きは評価のひとつの指標といえるかもしれない。

 国宝などは、死後に決定されるようだが、それも一定のルールに基づいて決定される。
文化財審議会とか文部科学省とか決定権者がいるわけである。

 文化勲章ノーベル賞など、ルールが決まっているものは評価のプロセスが明確である。

 他方、世の中には、同一人物に異なった評価がなされても、統一する必要がないケースも多い。それは、特定のルールに基づかない場合が多いだろう。

 たとえば、織田信長をどう評価するかということを考えてみよう。

 歴史家が資料を収集し読み込んで、可能な限り、信長の一生を正確にたどろうとしても、そこにはおのずから限界がある。

 たとえば、戦略家としてすぐれていたとして、個々の戦術についての評価はむずかしい。さらに、家来の掌握術や権謀術数やリーダーシップがどれだけすぐれていたかは、結果から推測するしかないことが多いだろう。

 敵対する勢力に対してきわめて残酷であったと言われるが、当時の意識として、敵を殺戮することをどのように評価するかは慎重であるべきだ。当時の法令はおそらく戦争による殺戮を罪として裁き罰するための明確な規定を有していなかったのではないか。
 それであれば、人情論としての評価ができるだけである。現代においてなら、人道上残虐行為はすべきではないということは言えるかもしれないが、過去においてはそうではなかったかもしれない。
 過去の人物の評価は、その時代の視点から行う評価と現代の視点から行う評価とを区別すべきである。そして、ある行為について、過去においては批難すべきでなかったとしても、現代においては批難されるべきであるという評価がなされてもよいと思う。
 また、信長に私生活があったとしたら、公務とは別の人物像が描けるかもしれないが、戦乱の世の中では、そうした区別はできにくかったと思われ、歴史家もそういう観点からのアプローチはしていないように見える。小説家は別だろうが。

 信長の評価は、歴史家の数だけあるかもしれない。あるいは、小説家の数だけ。さらには、信長に関心をもつひとびとの数だけ。
 それらは、どれが正解かという結論には達し得ないだろう。国家が権力的に公式見解をまとめて、国民に強制しない限り。
 評価がばらばらであるということも、民主的な社会の美点であるかもしれない。

 このように、評価の主体はいろいろな場合がありうるわけだが、そういう主体があるということを念頭においておくことは重要であると思う。