南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

最近の詩集評

 


        最近の詩集評(2)


倉田良成詩集「横浜エスキス」。エッセイの趣のある詩篇。赤煉瓦倉庫、チャイナタウン、港、博物館、美術館、ジャズ祭など横浜の各所をノスタルジックに描きつつ、著者の自伝的な回想や街やひとびとの喧騒をリアルに交え、さらに幻想に満ちた古今東西の文学や音楽や絵画を重ねる手腕は、いわば魔術師の手さばきとも言える。倉田良成は、まさに現代の神話作家だ。

疋田龍乃介詩集「歯車vs丙午」。不条理劇のようだが、観客を有無を言わせず引き込むのは、登場人物や大道具や舞台設定が意外な演技とセリフを際立たせるからだろう。豆腐も犬も蛇もミツバチも義母も灯籠も、怪談めきながら、語呂合わせや言葉遊びの快感で観客を虜にする。斬新で饒舌な文体が魅力だ。

秋田律子詩集「詩人のポートレート」。中也を書いた詩が冒頭にある。中也のことは知らなくてもその詩とポートレートに惹かれる。ひどい人だったといううわさもあるのに。太宰治を取り上げた詩が次にきて、それ以後は著者が自らを見つめた詩篇が並ぶ。詩と詩人の関係は常に謎めいたものかもしれない。

浜江順子詩集「闇の割れ目で」。忌まわしい死を直視する胆力は決して沈着冷静を意味しない。あわてふためきながら、人間の生死の総体を、性や生理や不安や不条理に満ちた宇宙や時空で、ジタバタしたり啖呵を切ったりしながら、透徹した眼力と筆力で痛快に描いてみせた、魅力溢れるホラー・エロス詩篇

芳賀章内詩集「宙吊りの都市」。大震災の爪跡を癒し充実させるための歴史的現在。「人間の歴史は人間の歴史をもって超克しよう」とする立場から宙吊りの現状に向かい合う強靭な精神が、息詰まるような詩篇群となって現出している。「歴史のなかに芳賀章内はあり/ししゅふぉすのように/笑っている」。

紀の﨑茜短詩集「ちきゅうぼし」。「お日様が/ぽろんと//腰かけている」(切株)。少年詩という位置づけの短詩が並んでいる。言葉をひねくり回すことなく、実に素直に言葉を差し出している。技巧に走った詩が多く見られる中では新鮮に感じられる。77歳という覚悟の年、詩を書きたい思いが強まる。

福原恒雄詩集「土偏(つちへん)」。「その時のことくずれてしまった地球の足跡ほどの残土に/ちょぼちょぼっとだれのものでもないみどりが芽ぐんで光る」(「時に 芽生えて」より)。大震災に向き合い、失った言葉を探し堀り起こし拭い並べようとする中で、土を強く意識する人間。痛切さが胸に迫る。

南川優子詩集「ポフウエル氏の生活 百編」。地球規模で縦横無尽に言葉とイメージの離れ業を繰り広げる。跳躍、ひねり、宙返りなど体操のような爽快感がある。自由自在に繰り出される語彙が幾重にも絡まり合ってユーモアと意外性に富んだ時空へ連れ去る。類稀な実験性の陰に感じ取れる痛快なポエジー