南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 小さな楽しみの発見 』(価Ⅲ=25)

 

      『 小さな楽しみの発見 』
                  
                              価値観の研究第三部 その25


1.老いるにつれて心身に障害がみられるようになると、在宅にせよ施設入居にせよ、なんらかの手助けや介護が必要になる。

 障害の程度はひと様々なので、介護サ-ビスもそれぞれに応じた内容が求められる。

2.費用負担の問題は大きな比重をしめるだろう。裕福な人と貧しい人と中間の人とで、問題の処理のしやすさが変るだろう。

 仮に、最低限のサービスを受けることができて、一応毎日の生活を送っていける場合を想定しよう。

 そうした場合に、忘れてはならない視点が、毎日なんらかの楽しみを見出せるかどうかということである。

3.小さな楽しみの例を挙げてみよう。

 ①書道に親しむ。
 ②絵を描く。
 ③新聞、雑誌、本などを読む。
 ④テレビを見る。
 ⑤花を活ける。
 ⑥歌を歌う。
 ⑦おしゃべりをする。
 ⑧電話をする。
 ⑨俳句や短歌を作る。
 ⑩散歩する。
 ⑪音楽を聴く。
 ⑫おいしいものを食べる。
 ⑬花を見る。
 ⑭風呂に入る。
 ⑮リハビリ体操をする。
 ⑯手紙をやりとりする。
 ⑰できればPCにアクセスする。

 人間の暮らしは、小さなことの集合である。食事、トイレ、睡眠を基礎として、こまごまとしたことを繰り返す。仕事を持たなくなった人間は特に時間の使い方が大切になる。

4.心身の状態や家庭環境などに左右されながらも、死ぬまでの時間を有意義に楽しく過ごしていくことが望ましいと思う。そのためには、日々小さな楽しみを見つけることが大切だろう。

 本人が自分で見つけられるのが理想だが、そうでない場合は、周りの者が手助けすることが求められる。

 話しかけたり、要る物を尋ねたり、一緒にできることを探したり、今後のスケジュールを相談したり、なんでもいいから、日々の暮らしが楽しくあるいは少なくとも苦しくも辛くも悲しくもないようになるように手を差し伸べることが望ましい。

 死期が迫った人間でも、死のことばかり考えているわけにはいかないし、そうあるべきでもないし、周りの者もまたそれは避けたいと思うだろう。

 だれでも生きている間は、幸福になりたいと思うだろうし、楽しく過ごしたいと思うだろう。
 そういう方向性をたいせつにしながら、人間が最期を迎えることができたらいいと思う。