南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 権力は悪か? 』(価Ⅲ=33)

 

   『 権力は悪か? 』

                                価値観の研究第三部その33

1.「権力とは何か?」ということはさまざまに語られうると思うが、ここでは、それなりの見識を持ちながら、なにかにつけて、「反権力」「権力批判」を口にする人々が見受けられるので、「権力は悪か?」という素朴な問いを発してみた。

2.国家の支配体制ということについては、歴史的には、いろいろな形態があって、専制君主独裁制とか議会制民主制とかが代表例であろう。フランス革命とかに代表される革命は、支配者に抑圧された民衆の蜂起というパターンが多い。
日本国憲法では、主権在民基本的人権の保障、国家の統治機構等について規定されているが、たしかに、ここにも権力者による国民の権利利益の侵害を防止しようという考え方が読み取れる。それは歴史の流れを踏まえた内容であり、権力者は往々にして圧政を行ったり理不尽な負担を求めたり、権利を侵害したりするおそれがあるという前提で制定されたものであると言ってよいだろう。ただし、権力が手の付けられない暴君であるとまでは捉えているわけではないと思う。

3.ひとつのヒントは、マルクス主義に求めることができるかもしれない。資本家による労働者の搾取は、暴力革命によってしか実現されないという当時の認識が、一部の人々の間においては現在なお生きているのである。
 資本家が権力を握って労働者を搾取するという構図は、今日では、企業が政治家を操って国民をしいたげるというように読み替えられるのかもしれない。
 権力者が弱者である国民を抑圧するという捉え方は、果たして今日でも正しい見方であろうか?科学技術の進歩や生産性の飛躍的向上等によって経済社会や国民の暮らしは、百年前、二百年前と大きく変わってきたと言えないだろうか?
 
4.好むと好まざるとにかかわらず、現代の国家は統治機構が必要であり、そのための権力が不可欠である。だれが権力を握るかどうかは別として、権力が合法的に行使されることが求められる。その目的は、国民生活の幸福の追求である。現在の統治機構が最適かどうかは断定できない。時代の推移によっては、よりよい仕組みに変更されることがありうる。
 それでも、長い歴史の教訓を踏まえて、暴力による解決を避けようとする現行の憲法や法制度は、一応進化したものだと言えるだろう。
もし統治機構がなく、権力がないとしたら、紛争解決ができなくなり、国家は混乱に陥ることは火を見るより明らかだ。権力は悪用されないという保証はない。だが、権力はある意味で必要悪である。国民が知恵を出し合って悪用されない仕組みを作り出して行くべきものだと思う。

5.結論としては、「権力は国家の運営に必要不可欠だが、悪用されないように知恵を絞る必要がある」ということではないだろうか?