南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

利害関係(価値観の研究=その23)

 人間が「言うこと」と「行うこと」の間に食い違いが生じる一番大きな理由は、利害関係だろう。

 いま、ドイツのハイリゲンダムでサミットが開催されているが、「各国首脳の発言をどう受け止めたらいいか?」を考えるときには、国益が基本にあると思ってよい。

 国益国益の駆け引きである。

 地球環境問題が脚光を浴びている。

 京都議定書は、アメリカが参加していない。中国などの大国が、CO2の削減義務を負わないなどの問題を抱えている。1990年を基準に、なん%削減するか国ごとに目標を掲げ、それを2008~2012年の間に実現しようとする枠組みだ。日本は。ー6%の削減目標だ。実際には、削減どころが増加している。

 それで、開発途上国で、削減プロジェクトを実施することにより、排出権を獲得し、その分を自国の排出量から差っぴいてもらうというスキームが取り入れられている。

 おそらく、Co2削減はかんたんには行かない。生活水準にかかわることだからだ。

 それでも、科学的なアプローチにより、未来の地球を守れ!未来の人類の子孫を守れ!という大義名分のもとに、対策は講じられるだろう。資金も技術も人材も動くだろう。

 EUは積極的。日本もかなり積極的。アメリカは独自の提案をするなど、姿勢に変化が見られる。中国は総論賛成でも、具体論ははっきりしない。ロシアもようすを見ている感じだ。

 それでも、全体として、この問題に取り組もうという合意形成に至ったようだ。いろいろ事情はあっても、地球に生きる運命共同体として、世界各国は協力せざるをえないからだろう。

 利害をベースにしながらも、どこかで「正義」「人類愛」「平和」みたいな目標を共有することが望ましい。

 国家間の複雑な利害関係の中から、なにかが生み出される。それが、前向きの材料であってほしい。

 人間の英知と良心を信じきれるかどうかだ。

 できれば信じたいものだが。