南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

谷川俊太郎「詩を読み、語る」(聞き手*小池昌代)

 きょう、「立教大学文学部100周年記念行事」のひとつとして、同大学タッカーホールで開催された、「谷川俊太郎『詩を読み、語る』」というイベントに行った。聞き手は、同大文学科文芸・思想専修特任教授、小池昌代(敬称略)だった。

 大きなホールには、学生らしき若者を中心として聴衆が何百人も詰め掛けており、詩のイベントとしては珍しく大規模だったと思う。さすが『国民詩人』谷川俊太郎だと感心した。

 一時間半はあっという間に経ってしまった。

 谷川俊太郎が、自作の詩を朗読する。「わたし」をとりあげた詩、「わたしとあなたとの関係」をたくみに描いた詩、死を迎える自分の内臓へのよびかけを描いたユーモラスでシリアスな詩、詩と小説の関係をとりあげた詩、など相変わらず、言葉遣いが絶妙な作品を、熟練した朗読技術で読む。

 その合間に、聞き手の小池昌代が、いろいろな質問をする。

 たとえば、

 (小池)「『わたし』というのが大きなテーマだと思うが、どこか自分を離れたところから見ているような気がするが?」===(谷川)「デタッチメント(距離を置くこと)というのが自分の詩を書く位置だと思う。」

 (小池)「しあわせな子供時代だったか?」===(谷川)「子供の頃は、行動するすべがわからなくて苦しかった。おとなになると自分が思ったように行動できるようになったのでよかった。」



(小池)「谷川さんはいつも元気で、うつ病とかに縁がなさそうに見えるがどうか?」===(谷川)「そんなことはない。自分もうつ状態になることがある。そんなときは、ふとんをかぶって寝ているか、車で森のほうへ出かける。どうやら、ソシアルな自分とコズミックな自分があって、ソシアルなほうで落ち込むと、コズミックな自分に戻って救われるみたいだ。」

 (小池)「谷川さんにとって、女性はどんな存在か?」===(谷川)「マザコンだった。母親の存在は、『恋人』ができるまで変わらず続いたし、母のイメージは『恋人』の中に存続した。女性は、自分にとって、大地や森と同様に、自然の一部、偉大な存在だ。」

 (小池)「死をどんなふうにとらえてるか?」===(谷川)「死自体はこわくない。痛いのや、からだが不自由になるのはこわい。自分は魂を信じているので、死んだらどうなるのかには興味がある。」

 (小池)「小説は書かなかったのか?」===(谷川)「小説は自分には向いてなかった。」


  など、ユーモラスな中に人生への深い洞察を感じさせるトークがかわされた。

 最後に、会場の聴衆からの質問も受け付けた。

 多くの質問がなされた。時間があれば、もっと多くの質問者がいただろう。

 さいわい、ぼくは質問をするチャンスにめぐまれた。

 問「音楽やスポーツにはプロフェショナルとアマチュアの区別が歴然とあるが、詩についてはどうか?数少ないプロの詩人としての谷川さんはどう思われますか?」

 答「詩はプロもアマもないと思う。子供の詩でも、ほかに仕事を持ったひとの詩でもいいものはいい。」

 概略、以上のような感じだった。

 最後に、壇上で谷川俊太郎はサイン会のサービスをした。サインを求める人の長い列ができていた。

 ぼくにとって、テレビではともかく、谷川俊太郎の実物を見たのは、30年ぶりだった。間近に接した谷川俊太郎は、年齢の割りにとても若々しくて、名声をかちえた詩人らしいオーラを放っていた。詩も人物もきわだってすぐれているとあらためて感動した。40年以上前にはじめてその詩に触れて以来ずっと注目してきたが、今日なお元気で活躍していることに驚くとともに喜びを感じた。今後ますます元気で活躍されることを望みたい。

 また、聞き手の、小池昌代は、自然な感じで谷川俊太郎からさまざまな考えや思いや経験を引き出した。会場からも、ときどき笑いがもれた。いま、ぼくが一番すばらしいと思っている女性詩人の人柄がにじみでた見事な聞き手ぶりだったと思う。最近、小説でもすぐれた才能を発揮しはじめている小池昌代。彼女のますますの活躍にも大いに期待したい。