南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

南川優子の詩を読む(その4)

 南川優子のホームページ「そふと」から、「光」を引用。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 
   光


昨日
ミシンをかけている間
太陽の寿命が尽きた
縫い目は
途切れた線路のように
行き先を失い
窓が 意識から消えた
手探りで 壁にもたれかかり
スイッチを入れると
電球が 白内障の目のように
光る

今朝
筒型の封筒が
郵便受けに押しこまれていた
開けると 蛍光灯が入っている
一家に一本
配給されたらしい
説明書きに
「光が熟したら 収穫してください」
とあった
朝食後 懐中電灯を頼りに
庭に出て
蛍光灯を植える
太陽の光が ないので
水と 肥料だけを
ふんだんに与えて

電気の光を通して
人を見つめ
会話する日々が続いた
木や草は
しだいにしなびていったが
地面に刺さった蛍光灯は
少しずつ
明るい色を帯びている
隣人とは
蛍光灯の育ちぐあいを
語りあった

今日も
庭の蛍光灯の色が
濃くなる
自分が育てた光で
ズボンのすそをかがってみたく
庭に裁縫箱を持ち出し
地べたに腰を下ろし
縫った
それから
泥が服にしみていくのも
忘れて
イワシを皿に積み
光の下で
手開きにした

光はもう 熟しているが
次の配給が いつなのかわからず
抜くのが こわい
時々 風が吹き
蛍光灯が左右に揺れる
ぐらつく光の前に ひざまずき
枯れませんようにと
祈る
家じゅうの電球が
弱っていくのを
肌で感じながら

Dan Flavin The Diagonal of May 25, 1963 を見ながら

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この詩は非常にわかりやすい。

 だれでも光にお世話になっている。太陽光と人工の光に。

 もし太陽がなくなったらどうなるのか?

 おそらく地球は冷え切り、人間は生息できなくなるだろう。

 この詩ではとりあえず蛍光灯が光を供給する。

 電気が日常生活を便利にしてからは電気の光は人間の生活にますます不可欠のものになった。

 太陽がなくなり、さらに電気の光ががなくなったら地球は闇だ。

  蛍光灯が配給され、それを畑で栽培するというのがユーモラスだ。

  南川の視線はおだやかだが鋭い。洞察力に富んでいる。

 現実をよく観察した上で、南川の感覚にひっかかってくるものをすくいあげる。あるいは、感情移入する。
 そうして、南川のイマジネーションの中でひらめいたイメージが突然動き出し、言葉がそれを追いかける。

 そんなふうにして、彼女の詩は生まれるような気がする。

 そしておそらく、できあがった詩はなんども推敲を加えられるのだと思う。

 推敲の結果として、イマジネーションは飛躍し、言葉はピンポイントでおさえられる。

 読むほうも思わず彼女の世界に引き込まれてしまう。