昨日(平成19年10月14日NHKホール)、ベルリン国立歌劇場オペラ「トリスタンとイゾルデ」を観た。
ワーグナー作曲。台本もワーグナー。
指揮、ダニエル・バレンボイム。演出、ハリー・クプファー。
3幕、4時間に及ぶ大作。
結論的には、完璧な出来だったと思う。賞賛の言葉が見つからない。
ストーリーは、おおよそ以下のとおりである。
コーンウォールのマルケ王のもとへアイルランドの王女イゾルデを届ける役のトリスタン。船の舵をとっている。
実は、二人には、複雑な過去があった。恋人をトリスタンに殺されたイゾルデは、傷ついたトリスタンを介抱し、助けてしまう。剣をもって殺そうとしたができなかったのだ。二人は愛し合ってしまったのだった。
だが、世間のしがらみの中で、恋は進展しなかった。むしろ、トリスタンは伯父であるマルケ王が先妻をなくして独り身でいるのを見て、イゾルデを妃に推薦し、護送役を買って出たのだった。
船が陸に着いたとき、やっと顔をあわせたトリスタントイゾルデ。船の中で、愛を確認しながらもこの世では救いのない二人は、毒杯をあおって死のうとする。しかし、侍女のしわざで、毒薬のかわりに愛の秘薬を飲んでしまう。
そこで、二人は生き、深い恋に落ちてしまう。
王が狩りに出かけた夜、イゾルデはトリスタンを招き入れる。深く愛し合う二人のもとへ、臣下のメロートの導きでマルケ王が現れる。王は裏切られた苦衷を切々と訴える。トリスタンはメロートの剣で瀕死の重傷を負う。
トリスタンは故郷のカレオ-ルの城へ運ばれる。トリスタンはやがて意識を回復する。夜の国に行っていたが、イゾルデを昼の国に残してきたので、帰ってきたのだという。
彼の元へ、待ちかねたイゾルデがやってくる。しかし、トリスタンはイゾルデに抱かれたまま、息を引き取ってしまう。
そこへ、マルケ王がやってくる。
メロートとトリスタンの従者とが争い二人とも息絶える。
マルケ王は、トリスタンの忠誠を理解し、トリスタンとイゾルデの結婚を認めてやろうとしてきたのだった。しかし、おそかった。王は死屍累々の情景を見て悲嘆にくれる。
イゾルデもトリスタンの甘美な愛の法悦を感じながら死んでいく。
ワーグナーは、台本も自分で書いた。それは、詩そのものである。愛と死。昼と夜。王と臣下。個人と世間。運命。そういう人間の矛盾に満ちた生を悲しくも美しく歌い上げる。
特に、昼と夜の対比は、なんども繰り返され、このオペラのストーリ-の展開に至高の詩情の深みを与える。
音楽は、全体的に、波が逆巻き、うねり、荒れ、静まり、たゆたい、また荒れ狂い、叫び、呑み込む・・・というように、海の波のようなものが基調にあり終始流れ続ける。
その上に、詩的な言葉に絶妙のメロディーをほどこしたアリアが延々と繰り広げられる。
モーツアルトのオペラのような二重唱、三重唱といった重唱が少なく、独唱のアリアが切々と展開されるのが特徴だ。
また、アリアでは、回想の部分がきわめて多いのも特徴的だ。現在における舞台上での展開は乏しいのに対して。
そんなことが指摘できると思うが、歌われる言葉はポエジーと切なさに富み、音楽は愛と死を限りなく感じさせる。生きることを忘れさせるほどオペラの中に引き込まれる。
ワーグナーの永遠を思わせる音楽の波。寄せては返す波。
詩情。象徴的な詩句。たんねんにくりかえされる心情。
バレンボイムの完璧な指揮ぶりにも深く感動した。偉大なピアニストであるだけではない。
オーケストラのレベルの高さももちろん貢献度は大きい。
そして、歌手たちのおそるべき練達。いままで聴いたオペラの中では、最高の歌唱力だった。
トリスタン役の、クリスティアン・フランツ、
イゾルデ役の、ワルトラウト・マイヤー、
マルケ王役の、ルネ・パペ、
そのほか、従者や侍女役の歌手も粒ぞろいだった。
演出も、斬新な舞台装置を使いながら、このオペラの格調高さを遺憾なく発揮させた点で申し分ないと思った。バレンボイムとクプファーの組み合わせは絶妙なのだろう。ぴったりと息が合っている。
以上、まさにオペラの法悦を味わえた一夜だった。