南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

愛国心の問題(価Ⅱ=10)

 一国の国民が愛国心を持つことは至極自然なことだ。だが、それを強制すべきかどうかとかどのように表現すべきかという点については微妙な問題がかかわってくる。

 最近のある英字新聞の記事(キャスリーン・パーカー)によれば、アメリカ大統領候補者のひとりバラック・オバマが、スーツの襟につけるアメリカ国旗のピンを外すことに決めたそうだ。

 パーカーは、オバマのこの決断について賛否両論がありうること、そして、さまざまなシンボルの持つ意味について敷衍して述べている。

 オバマは、9.11事件のあと直ちに国旗マークのピン(日本語的には、バッジと訳したほうがわかりやすいか)を付けたが、それが『真の愛国心』の代用品に過ぎなくなったと感じたとき外したという。

 ひとびとは、キリスト教者であることを示すために、十字架のネックレスをしたり、魚のピンを襟につけたりする。あるいは、ガンの犠牲者や環境保護者との連帯を示すために、色のついたゴムのリストバンドを付けたりする。

 パーカーは指摘する。

 シンボルはシンボルに過ぎないけれども、それは無意識の情緒的な部分に訴える。

 アメリカ国旗は、単に愛国心を意味するだけではない。それは、ひとつの思想を意味し、アメリカ人の思い出を全体的に呼び起こすものなのである。

 オバマアメリカ国旗のピンをつけても必ずしもよりよい愛国者にはなれないかもしれない、しかし、
よりよい政治家にはなれるかもしれない。

 ざっと以上のようなことが述べられている。

 アメリカという国における国旗の意味は相当に重たいようだ。だから、オバマ候補者の行動も大きな波紋を投げかけたのだろう。

 日本ではどうだろうか。日本人にとっての日の丸国旗の意味はアメリカとは違った意味でデリケートな位置づけがなされているように思われる。

 憲法といい、テロ対策といい、愛国心といい、国家の基本的な重要問題だけに、国民の意見も分かれるし、対立は根深くなりがちだ。こうした問題の解決策を見出すには国民全体の英知と辛抱と理解と協力と譲歩が必要だと思われる。