南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

アマンダ・ゴーマン

    アマンダ・ゴーマンのこと

 

 

大統領就任式での、アマンダ・ゴーマンの詩「私たちが登る丘」の英文と訳文を読んでみた。

22歳とは思えない詩の高度なレトリックが駆使されている。比喩・象徴、強調、押韻、対比、反語、問いかけ、引用(聖書)、呼びかけ、メッセージ等。

朗読も声の強弱やテンポが計算されていてすばらしかった。

 

Amanda Gorman, ”The Hill We Climb"を読むと、アメリカ大統領の演説の口調に似た点があると感じる。オバマクリントンケネディなど演説のうまい多くの大統領。これは欧米の長い歴史的伝統によるものだろうか?

バイデンの応援詩という政治的な色彩を持つものの、詩が人々に訴える力を示した。

 

アマンダ・ゴーマンの詩「私たちが登る丘」にはいくつかよくわからない個所があったが、その中でも

”That is the promise to Glade, the hill we climb, if only we dare."はわかりにくい。the promise to Gladeとは何だろうか?

[空地への約束→約束の地?]

キリスト教的な意味合いがあるのだろうか?

 

欧米は、ギリシャ以来の雄弁術の伝統があるせいか、政治家の演説もきわめて文学的である。修辞学を駆使した原稿を書く専門家(ゴーストライター)もいるようだ。それだけ人々に訴える巧みな演説が求められているのだろう。バイデン大統領の演説とアマンダの詩の朗読はどこか似たところがあると思う。

 

それに引き換え、日本では政治家をはじめ多くの場合に文学的な演説をする者が少ない。文字や文法や発音や音韻等の言語的な違いや歴史的な伝統の違いのせいだろうか?

一朝一夕には変わらないだろうが、演説のうまさが選挙で勝つために重要な要素になれば変わるだろう。国民の側が求めるかどうか?