南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

理解されないままに

考えてみれば幼いころからだれにも理解されないという思いをもって生きてきた。

成長するに従い多くのひとと接することを通じてある程度は理解し合えるという感触も得られるようになった。それでも心の深いところでは人間は孤独であり理解し合えないということを痛切に再認識するようになった。

だが、理解し得ないからといってひきこもるべきではない。通じなくてもすれ違ってもひとはひとを通じてしかひととしてまともに生きていくことはできない。ひとと接することをやめたら途端に脳細胞は狂い始めて五感は正常に機能しなくなりさまざまな局面で不都合が生じるようになるはずだ。

だから、どんなに人間社会に絶望してもそこに身を置くことでしか希望もまた得られることはない。すべては不完全でしかないが、すこしでも完全なほうへと導いてくれるのは、神というよりもひとであるだろう。いかにもありふれた隣近所の住民こそが自分を救ってくれるのだ。

理解されなくても付き合えばいいのだ。なにがしかの話をして行いをして五感を働かせることが生きる上で最も大切なことだ。この年になってそういうふうに感じるようになった。