南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

シェークスピアのレトリック

 

シェークスピアはレトリックの神様というイメージが強いが、

ソネット83を読むと、意外なことに、当世はやりの飾り立てた技巧や美辞麗句に

批判的で心の底から発せられる真実の言葉こそ詩であると言っているのは面白い。

おそらく当時のライバル詩人たちはレトリックを駆使したいかにも現代的な詩を書いていたのだろう。それに対してシェークスピアは虚飾は美を損なってしまうと批判している。シェークスピアの恋人と思しき美青年の美しさを称えるのに他のライバル詩人たちは表面的な美辞麗句を駆使して失敗している。美青年の美しさは到底言葉では表現できない。だから自分は黙っているのだ。美青年はその姿かたちでもっともよくその美しさを表現するのであり、言葉は実際の美に及ばない。下手な言葉で美を損なうぐらいなら沈黙を貫いた方が美を損なわないでいられるのだ。

シェークスピアがそんなことを言った背景には、ライバル詩人たちとの競争意識が強かったという事情があったのかもしれない。シェークスピアでさえ自分の評判を気にしていたのかもしれない。

シェークスピアの作品を読めばレトリックの達人という印象をぬぐえないが、現実を生き生きと表現できてはじめてレトリックが生きるのであって下手な修辞を弄すればかえって現実の表現に失敗するのだという指摘を読むと、シェークスピアがいかに人の心を打つ表現ができるかに腐心したかをうかがい知ることができて興味深い。