南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

薬医門

 

     薬医門

 

                    南原充士

 

 

明治時代には桃や梨の産地だった土地だとは

普段は思い出すこともないが

こうして街中に小さな公園があって

紅しだれ梅 白しだれ梅 紅白梅と

咲き誇るところに差し掛かると

ふと馬に乗って薬医門をくぐって往診に行った医師の姿が

思い起こされる

 

ここから三四〇メートル歩くと武蔵溝ノ口の駅があり

東急溝の口駅が隣り合ってある

関東大震災のころには都市の復興の為に旧玉川電鉄によって多摩川から砂利が運ばれた

そこから左に曲がって坂道を上ると

子供を座席に乗せて自転車を漕ぐのに苦戦している若い母親を見かける

左手の階段を上ると兎坂に出るが

今日はそちらにはいかない

 

突き当りは崖になっているが

よく見ると崖の下の方にも家が立っている

崖上の道を左にずっと行くと

一旦下った坂が二手に分かれるところを

右に曲がってみる

不規則に住宅の立ち並ぶ地域に

小さな畑があってネギが育っている

その脇を犬を連れて散歩している老人がいて

そのあとにさしかかると地面が濡れているのに気づく

 

間もなく左手に現れてきた急傾斜地崩壊危険区域には末長熊野森緑地がある

急なコンクリートの階段さらに土の上に木が置かれた階段を慎重に登ると

マンションの手前に狭い緑地が見えてくる

木には名札がかかっているので

コナラ エゴノキ シラカシ と読みながら歩いていく

ここにも小さな紅梅が咲いていて

その隣に咲いている花はカワズザクラと読める

その奥には掲示板があって

ここ末長は、寛治五年(1091年) 後三年の役の帰途 源義家が立ち寄り

丘の上に不思議な石を見て

武運を祈り、弓矢を納めて、民の末長く栄えんことを願った

といわれている場所だという説明文が読める

 

後ろから呼びかける声に振りむくと

帽子をかぶった老人がこの先に行けるかどうかと聞くので

上り下りの階段はきついが細い道を抜けてマンションの階段を登れば

あちらの道路に出られると告げる

富士見台という地名がこのへんに残っているが

富士山が見えたことはない

遅れて自分も竹林の残った宅地を横目にあちらへ抜ける

 

見上げれば空にはうっすらと白い月が浮かんでいる

修理したばかりのスマホを取り出して写真を撮るが

性能が悪くてピントが合わない

ここにはよく電線にムクドリが止まっていたものだが

最近は見かけない

行き止まりの家の前にも車は進んでくるので油断できない

斜面になっている農地の半分がマンションになってしまったところを過ぎると

そこにも小さな児童公園があって

子供を遊ばせる若い父親や母親が見える

ボール遊びをしながら大声を上げている

 

そこから右手に下る道を行くと

フィオーレの森というレストラン地区があり

そこから大通り沿いに寺院や神社がいくつも連なっている

大通りの向こうには洗足学園が広がっている

夕闇が迫ってくる中を

女子中高生がおしゃべりしながら歩いていく

歩行者はみんなマスクをしてどこか身構えながらも

服装や歩き方は様々だ

このような風景は昨日も一昨日も見たような気がして

変わり映えがしないようだが

歩いて来た道を思い出せば

刻々と変わりゆく空の色の下で

二度と同じ時は繰り返されることはないのだと気づいた頃

一時間ほどの散歩が終わりになる