南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

無意識(価値観の研究=その49)

 価値観を考察するとき、忘れがちなのは、意識と無意識の関係である。

 なにごとも覚めた眼で観察し、判断していると思いたいが、現実はそうはいかない。

 幼児時代の環境によって、味覚や生活様式や価値判断など、かなりの範囲にわたって、個人の価値観は影響を受けざるを得ないし、社会の中の一員として道徳観も身につくこととなる。

 先入観や偏見なく物事を見ようとしても、無意識に形成された価値観は変えにくいのではないか?

 マナーやエチケット、衣食住、言葉、挨拶の仕方、冠婚葬祭、ショッピングの仕方など、もろもろの生活の細部に、価値観は現れる。

 列に割り込むことに目くじらをたてる人とさほど気にしない人がいたら、けっこう事件にさえなる。

 がんつけた、とかで刃傷沙汰に至る例もある。

 価値観を形成する歴史や先人の知恵には敬意を払う必要があるが、やみくもに信じるのは問題だ。また、自分の価値観の中に無意識が大きな役割を果たしてきたことも意識すべきである。

 価値観は、切磋琢磨して、よりよいものに改善すべきである。絶対的な「改善」かどうかはわからないが、一応、いま生きているひとたちの大多数によって支持されている価値観には敬意を表すべきだろう。その上で、自分の価値観をレビューし、修正し続けること。それこそが、不完全な存在である人間にできる最善の行き方ではないだろうか?

 わけがわからないまま生まれて、わけがわからないまま死んで行くというのが大部分の人間の一生だろう。

 それでも、生きている限りは、平和で、充実した、幸福な一生を送りたいと望むのが人の常だ。

 そういう素朴で基本的な原点にかえって、人間の生きる道を探し求めることがたいせつではないか?

 価値観とは、生きるためのよきガイドブック、マニュアルとして活用されるようなものであればよいと思う。