南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『自伝』(価Ⅲ=35)

  

        『自 伝』

                                 価値観の研究第三部 その35

1.偉人伝は多くの場合本人以外のだれかが書くだろう。それに対して「自伝」は、文字通り本人が書くあるいは口述筆記や材料を提供してだれかが代筆するといった具合に、本人の関与の度合いが比較的大きいと言えるだろう。

2.自伝のよさは、当人しか知らないことがあれこれ述べられるところにある。自慢話になりがちだったり、事実関係が不正確であったりするという短所もありうるが、自分のことを自分が語るという説得力をある程度考えれば、自伝は貴重な資料的価値を有するといえるだろう。

3.自伝も最近ではだれでも比較的かんたんに出版できるようになったので、著名人や文学者でなくとも自伝を書くという例が多くみられるようになっている。限られた家族や友人知人にしか読まれなくてもそれなりの意義はあるだろう。

4.日記や手紙も自伝と似た部分がある。著名人の日記や手紙はしばしば書物として出版されたり、展示されたりする。著名人の手書きの筆跡や便せんなどが個人的な親近感を募らせる。必ずしも文学的価値が高いとは言えないものでも、歴史的な価値などがある場合もあるだろう。

5.日経新聞朝刊に連載されている「私の履歴書」は、一月交替で各界の著名人が記す自伝的な文章である。成功者の自慢話という性格が強いことは否めないが、普段はうかがうことの知れない個人的な思いやエピソードなどが率直に語られるという点では、彼らの人間臭さや素顔らしいものが感じられて好ましいものだ。

6.古今東西、数多くの自伝が残されていると思うが、たとえば、「福翁自伝」などは、日本人が書いた自伝の中では特に有名で内容もすぐれており、今でも広く読まれているものである。すぐれた自伝は、読者に生きるためのヒントを与えてくれる。偉人伝と同様に生きることには意味があることを示唆してくれるものだと思う。多くのひとびとが自伝を書いてほしいと思う。読者がその中から自分にとって参考になるものを選んで読めるように。