南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

ひとりの文学者として

 

     ひとりの文学者として


文学者である前に人間である。だが、文学表現をするとき文学者になる。人間という無限は有限でしか表現できないことを熟知している人間として。宇宙という巨大な広がりの中に一滴のしずくを落とすことこそはるかな隣人へと思いを伝える唯一の手立てであることを。

このような危機にあると、自分が書くものがこの危機とどのようにかかわってくるのかを考えざるを得ないが、すべてをコロナに占領されるのは避けたいとも思う。どこかに少しでもコロナから離れた視点を持ちたいと思う。溺れそうになりながらもせめて一本の藁にでもつかまろうとする。生死を分ける何か。

文学者はなぜ文学表現をするのだろう。持って生まれた性格や表現欲や才能のせいだろうか。意識するしないにかかわらず、自己救済の意味合いは否定できないという気がする。できるならそれが同時に他者の救済になることを願いつつ。他者の視線を意識するとき表現の客観性や技巧に思いが至る。他者の心に届く表現を獲得する努力を傾注するということだ。

わたしも文学者の一人だという自覚はある。表現することを自分の存在理由だとようやく感じるようになったこの齢まで営々と書き続けてきた。途中長いブランクはあったものの、書くことで救われ書くことで楽しみ書くことで他者を楽しませたいという思いが自分に書くことを捨てさせなかったのだと思う。書くことは決して容易でないことは十分承知してはいるが、書くことの楽しみもまた小さくはないと感じているので、今後もできるだけ書き続けていきたいと願っている。読者諸氏のご支援もよろしくお願いしたい。