南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

捨てる勇気

自分が死んだときには自分はなにもできないのだから
心配しなくていいのだが、

死んだときに残された者の事を思うと
処理しておかなくちゃいけないと思えることがある。

遺言状の作成。財産はあまりなくても明確に意向を示しておいた方がいいだろう。

銀行口座や生命保険の加入状況。

葬儀方法や埋葬方法への希望。

死亡通知を出すべき友人知人のリスト。

家族や友人知人への感謝の言葉。

そして、日記や手紙類の取り扱いについての指示。

きょうぼくは大量に過去のメール(プリントアウトしたもの)を捨てた。

たくさんの写真も。思い出がいっぱい詰まっていて捨てる決断はなかなかできなかった。

しかし、自分が死んだときに、見られたくないものはある。

どうせなら、生きているうちに捨てるものは捨てるべきだろう。

きょうは第一弾。

次は、残りの日記も処分しようと思う。

モーツァルトの日記はずいぶんたくさん残っていてたいへん参考になる。

だが、モーツァルト自身はまさか世間に公表されるとは思っていなかったかもしれない。

手紙は公表を覚悟しておくべきだろう。これからはメールも。

日記も処分しなければ公表の可能性があることを。

ま、ぼくの場合は天才じゃないから、杞憂に過ぎないだろうけど。

ノーベル賞クラスのひとたちともなると、死後に手紙や日記やメールを

公表される可能性が高いので、生きているうちに処分すべきはしておいたほうがいいと思う。

余計なお世話かもしれないが。