南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

自立ということ

孤立と自立のちがいはむずかしい。言葉のちがいじゃなく、生き方としてのちがいが。
多かれ少なかれ、人間はひとりでは生きていけない。衣食住すべてをだれかに依存せざるをえない。自給自足なんてかんたんにはできない。

しかし、人間は社会的な生き物だ。仲間がほしい。ともだちやこいびと、夫婦や家族が。
問題なのは、依存症になりがちなことだ。ひとりに耐えられない。さびしくていられない。相手して欲しい。話し相手になってほしい。いっしょに住んで欲しい。いっしょにでかけてほしい。などなど。

しかし、相手に頼ろうとすればするほど満足は得られないことがわかり、空しくなる。
他者に孤独を紛らしてもらうことはできない。孤独は決してなくなることはない。孤独を前提にして、死ぬときはひとりぼっちであることを覚悟して、その上で他者と接すれば、ひとりでにほどよい交友が可能になる。

人間関係は常に変化する。きのうの友はきょうの敵かもしれない。きょうの恋人はあすは他人かもしれない。

一週間前、ぼくはひとりの大事なひとと心の中で最後のわかれを決断した。
きょう、ぼくはひとりのだいじになれるかもしれないひとについて、だいじになれないだろうと判断を下した。

もともとあまり交友関係が広くないぼくにとってひとりの友人を失うことは大きなダメージがある。
しかし、だめなものはだめだということに目をつぶってはいけないのだと思う。

ことしは、最近になく別れの決断をせざるをえない年になりそうだ。
事実上は終わっていても、ぼくの心の中で明確にピリオドを打つのは別の意味合いがあり、痛みもある。もう、メールも電話もしない。誘いもしないということを自分に言い聞かせるのだから。
いい思い出があるひとほど別れの決断はつらい。でも、時間は残酷なものだ。付き合っても歓びをえられなくなるとどうしようもない。
ゼロになることを恐れてはいけない。ゼロをおそれて、それほどたいせつに思えない人にアプローチしてはいけない。友達以上になれないひとに恋人の役割を期待しちゃいけない。

次の対象が現れるまではじっと待とう。

好きな音楽を聴いたり、映画を見たり、本を読んだり、旅行をしたり、気の合う仲間と気楽な時間を過ごしたりしながら、じょうずに日々を送ろう。愛するひとがいなくても元気に生きていける強さを持とう。自立。
自立した自分にこそ、すてきな愛の対象はふさわしい。
孤独に耐える自分を創ることでひとと愛し合える自分となろう。
自立。それは孤独を踏まえた交友関係を可能にする意志の姿勢だと思う。