南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

ニュートラルとは?(価Ⅱ=17)

 人間関係についての難しさは今更言うまでもないが、最近、自分が個人的に経験したことをもとにすこし考えてみたい。

 1.歯医者でのこと

 定期的に通っている歯医者がある。歯科医師は異動があるので、いつも同じ医師に診てもらうわけではない。
 最近、また虫歯が一本発見された。毎日超まじめに歯ブラシをしているぼくにはショックだった。で、どんな感じですか?と聞いたところ、糸切り歯がべろのほうから虫歯になっているとだけ答えた。もっとくわしく、どこがどんな具合に虫歯になっているのかを具体的に知りたいぼくとしては、鏡を使うとか図解するとかしてほしいのだが、一向にそういう気配がない。

 それ以上、しつこくしてもいいことはなさそうなので、追求するのはさけた。
 医師の説明不足という問題は、医師と患者の間の「説明内容のくわしさ」について見解の相違があることもひとつのポイントかもしれないと思った。もちろん、専門的すぎるとか、言葉が足りないとか、手間をかけるのをいやがっているとか、ほかにも問題はあるだろうが。

 2.蕎麦屋でのこと

東北地方産のそばを使ったそばが好評な店。ひとりで入れば、相席がふつうだ。
ある時、ぼくがあるテーブルにすわっていると、あとから来たひとりの女性がななめ前に座った。何気なく顔を見ると、なかなかの美人。年のころは30代前半か。コートの下は白いセーター。
 内心、これはラッキーと思ったが、その女性は、会釈らしきものもなければ、笑顔もなく、こちらに対する遠慮がまったくない。ぼくがいやらしいおじさんに見えたのだとしたら自業自得だが。

 さて、このような場合、まったくこちらの存在がないかのように無視した態度をとっていることに対して、どう受け止め、接したらよいだろう?

 腹を立てるのはばからしい。やはり、そんなものだとあきらめ、こちらも相手の存在がないかのようにたんたんとそばを食べることに集中すべきであろうか?

 そういう態度をもって「ニュートラル」といえるだろうか?

 3.電車の中でのこと

 通勤電車は押し合いへしあいだ。いろいろな人に出会う。記憶に残るのは当然いやな乗客。
 このまえは、ぼくが立っている脇に来た女性が、座席の隙間に持っていた小さなバッグを置いた。
 6人がけだったので、7人がけにすべきだという主張をこめていたようだ。
 やがて、ある駅で、ぼくのまん前の席が空いた。当然すわろうとしたぼくの前に、バッグを取ろうとする振りで、その女性がするりと滑り込み、唖然とする僕の前ですわってしまった。
 こういうひととは絶対付き合えない。こういうひとがいたら、ニュートラルどころか、遠ざかろうと心に決めた。

 4.集合住宅でのこと

 ぼくの住む集合住宅でのこと。毎日顔を合わせてもあいさつをしないひとも多い。こちらが積極的にすればいいのかもしれない。エレベーターに乗ったときだけは、あいさつをすることにしている。
 あと、年下のひとがあいさつすべきだという古臭い考えにとらわれているのがいけないのかもしれない。若いひとたちが、毎日だまってすれ違っていくのはあまりいい気持ちがしない。しかし、時代がかわり人間関係が希薄化したのかもしれないし、いちいち腹を立てるのもどうかと思う。
あいさつもどういう場合にどういう相手にどんな感じでしたらいいのか、考えるとなかなかむずかしい。
 自然体で行くべきか?この場合は、ニュートラルというのがあてはまるか?

 5.職場でのこと

 これまで、いろいろな職場を経験した。挨拶がよくかわされる職場もあった。逆にほとんどしない職場もあった。
 あいさつの仕方で、その職場の雰囲気はわかるような気がする。
 あいさつは人間関係の潤滑油としてとても大切だと思う。
 それでも、少子高齢化とか家庭教育の変化とか危険な人間との接触の回避とか諸般の事情により、あいさつはしない方向へ変わっているような気がする。
 家庭、地域、職場、学校などいろいろな場であいさつの仕方を教えたり、あいさつをしてみせることが必要なのかもしれない。
 人間関係の深さによって距離感を変えたらいいのだろうか。
 ふつうの相手には、「ニュートラル」ということで!