南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

好き嫌いの彼岸

 ニーチェに「善悪の彼岸」という著書がある。詳しいことは忘れてしまったが、人間なにかにつけて、煩悩につきまとわれて、すっきりと生きていくのは難しいので、「・・・の彼岸」とか「・・・のかなた」とかいう心境にはあこがれる。

 ぼくが最近思うのは、【好き嫌いを超えて】ということだ。

 人間関係は生きていく上でもっともたいせつだが、同時にもっともむずかしいものだと思う。

 一度は愛し合っても幻滅は訪れる。愛し合った相手とともだちになれるか?嫌いな相手とどうしたらうまく付き合えるか?きらいという感情をどのようにコントロールしたらいいのか?相性が悪いと感じたときに、避けるのが最善だろうが、家族とか親戚とか隣人とか会社の同僚とか避け切れない人間関係というのがけっこう多い。禅寺にでも行って精神修養の機会を持ちたくなるのもあかる。座禅を組んで心を無にして悟りを開きたい。すがすがしい気持ちで生きて生きたい。できれば笑顔でひとと接したい。ほとんどのひとがそう願っているはずだが、現実は修羅場ばかりだ。争う言葉や暴力沙汰が絶えない。

 そこで思うのは、きらいなものを好きになるのはむずかしいだろうから、せめて、すきでもきらいでもないという心境に到達することだ。そういうこころの持ち方ができるように修行することだ。

 あいさつさえしない者。マナーや言葉遣いがなっていない者。デリカシーに欠けた者。なんとなく虫が好かないもの。気配りがない者。不潔な者。騒々しい者。生意気な者。自慢話ばかりする者。その他・・・。

 すなおに感じるのは「むかつくー!」という気持ちだが、そのとき、「なーにどうってことない」と思えるか?「無」「なーんにもなーい」「あぶらかだぶら」「なんまいだぶつ」「へのへのもへじ」など・・・。中立的な気持ちを持てるか?それが問題だ。

 「好き嫌いの彼岸」に到達して、できるだけ世間のわずらいを減らしたい。そして、もっと楽しいことに精力を集中したい。前向きなこと。明るいこと。建設的なことに。「いやなやつだ」と思う前に、「南無妙法蓮華経!」とか唱えてみるといいのだろうね?

 自分にふさわしい呪文を見つければさらにいいのだと思う。

 たとえば、

 「あいあいあい。たりららったらー」とか、ね?