南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

価値観について(価値観の研究=その1)

 科学の法則とはちがって、人間の生き方には客観的な基準はないような気がする。

人間の生き方は、結局、絶対的ではなく、相対的、経験的なものだと思う。

国家というものも歴史的に形成されてきた。法もまた便宜的なものだ。人工的なものだ。

宗教もそうだ。道徳もそうだ。常識もマナーも礼儀もみんなそうだ。

人間関係も。雇用関係も。お金も。冠婚葬祭も。言語も。習慣も。しきたりも。

生産も消費も。通信や情報も。生活様式も。

戦争のやり方も。ひとの殺し方も。病気への対処の仕方も。

数え切れないぐらい多くの項目があるだろう。

ほとんど、人間の長い歴史を通じて形成されてきた。

では、絶対ではないなら、無視してもいいだろうか。

そんなことはない。

人間の知恵というものは尊重されるべきだろう。これはひとつの意見だが。

ただ、あらゆるものはそういう性格をもっていることを忘れないことがたいせつだと思う。

ほとんどの人間が戦争反対のはずだが、現実には戦争は世界各地で起こっている。

現実を見ることは不可欠だと思う。

社会科学も不完全とはいえ科学的なアプローチではある。

信頼できる部分は活用した方がいいと思う。

国際紛争の発生の仕組みや予防の方策、可能性。外交の役割。

経済や貧困と紛争とのかかわり。国際協力の役割。人道主義の位置づけ。

共存共栄もひとつの価値観だ。

拉致問題はなかなか解決の方向性が見えてこない。

その背後にある国家としての立場や利害や価値観を冷静に見定める必要があるだろう。

どんなに人工的なもんだとはいえ、今現在のわれわれの安全にかかわることだ。

絶対ではない価値観が、国レベル、地域レベル、職場や、学校レベル、個人レベルなどいろいろなレベルで大きな影響力を持つ。

だとすると、価値観をしっかりと確立しておくことは生き延びるために非常に重要なことだ。

人間社会ってふしぎだね。

たまたま作られた価値観が絶対的な影響力を及ぼすのだから。

つまり、言論レベルではなく、行動、物理的な力、暴力のレベルにまで行くのだから。

ふとそんなことを考えてしまいました。