南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 革命とはなにか? 』 (価Ⅱ=49)

  
   
    『 革命とはなにか? 』      
                            
                                (価値観の研究第二部=49)


1.人類の歴史を振り返るとき、紆余曲折はあるものの、大きな流れとしては、人類は、基本的人権が尊重され、平和で豊かな社会に向かって前進しているように見えるし、そう信じたい。
だれもが平和な世界を望むはずだが、現実は、世界のどこかでは戦争と紛争がとめどなく遂行されている。
 当事国による外交努力も、国連などによる国際的な調整も以前よりは、進歩した面が見られるが、それでも、武器は使われ、戦死者は日々発生している。
 言論だけでは問題解決はできないのか?
 武力が不可欠なのか?
 残念ながら、現実を見れば、そのとおりだと言わざるをえない。
 ルールを守ることの重要性を認識しながら、あるときは暴力でルールを踏みにじる事態が発生する。
卑近な例が、「テロとの戦争」だろう。従来の法解釈では、戦争は国家間の争いだった。それが、テロを遂行する勢力とそれを支援・容認する勢力や国家をひっくるめて、戦争の対象と捕らえたのは、まったく法令無視あるいは超法規的な解釈であったと言えよう。
 9.11事件当時、憲法学者でもある土井たか子が、アメリカの対応に法律的疑問を投げかけたのは頷けることだったが、その後はしぼんでしまった感がある。
 これは、一種の「国際的革命」であったと言えるだろう。つまり、従来のルールを暴力によって否定し、新たなルールを制定したととらえるとすればのことだが。
 しかし、日米の同盟関係をかんがみれば、日本がこのことをあげつらいアメリカを非難することには政治的なマイナスがあるという判断がなされたのはやむをえないという見方も可能だろう。
 言論によって紛争を解決しようとする国際的な合意はないとすれば、戦争を含めた紛争解決のシステムが構築されているということだろう。国連安保理はどこまで、その重責をはたしているのだろうか?評価がむずかしいところである。

2.フランス革命とかロシア革命が代表的な革命だったと言えようが、ここでは、マルクスの業績の今日的な意義をレビューしておこう。
 言うまでもなく、「資本論」を著したマルクスが世界に及ぼした影響は絶大なものがある。労働価値や搾取というとらえかたはまさに天才的な洞察力を示したものだ。
 しかし、労働者階級が搾取を逃れるには、暴力しかないと断言したことには異論もありうるだろう。時代も変わり、社会のあり方も変った。21世紀の現在においても、なお、今後目指すべき社会を実現するために、暴力的な革命が不可欠なのか、見直す意義は大きいと思われる。
 それと同時に、核兵器の開発や保有についてのレビュー、戦争の遂行方法についてのレビューも引き続き行っていく必要がある。
 治安の維持という観点からは、法的な裏づけと絶対的な実力を備えた組織があることが望ましい。つまり、国連警察や国連軍の強化、さらには、地球がひとつの国家としてまとまり、地球国家が治安を維持するところまでいければ、前進が見られると思うが、さまざまな人種や宗教や国土や利害関係や価値観の錯綜する国家間で容易に合意形成ができるとは思われない。
 当面は、秩序を維持するための努力を国際的な協力・協調のもとに推進するということしか選択肢はないような気がする。
 いずれにしても、「革命」は「暴力」衝突による権力闘争の典型であり、暴力が社会にどんな意味を持ち、位置づけられるのかということについて、ひとつの大きな示唆を与えると思われる。言論による紛争解決を優先させながら、いかにして暴力が社会を改革するのか?重大な問題であるし、「戦争」と並ぶ大きなテーマであるといえよう。
 あまりに大きすぎてどのようにアプローチしてよいかさえ見出しにくいというのが本音ではあるが、人類が地球に生き続ける以上は避けて通れない問題だと思う。