南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『シャルリ・エブド事件について』

                『シャルリ・エブド事件』について



1. 今回の「シャルリ・エブド」(わかりやすく言えば、「週刊チャーリー」という名のフランスの週刊風刺漫画紙)事件は、国際社会に大きな衝撃を与えたし、それに対する様々な意見も示され、ヨーロッパの首脳を中心としたデモ行進も行われるなど、だれにとっても関心を寄せざるを得ない重要性を持っていると言えるだろう。そこで、この事件をどのようにとらえたらよいかを考えてみたい。

2. 批判的な意見は、「言論の自由を殺人というかたちで封じ込めようとする行為は許されない。断固戦うべきである」というふうに、また、理解を示す意見は、「言論の自由は尊重すべきだが、宗教の聖人を風刺するやり方が行き過ぎているのではないか」というふうに要約できるだろう。
    なお、「風刺のやり方が行き過ぎであったとしても、殺人まで犯すのはやりすぎだ」という意見もあるようだし、「殺人もやむを得ない」という過激な意見もあるようだ。

3. キリスト教イスラム教の対立という見方もあるようだが、イスラム教徒の多いパキスタンの要人は、今回シャルリ・エブドを襲撃した、いわゆる「イスラム過激派」はイスラム教徒ではなく、イスラム教徒にとっても敵であると言っている。とすれば、宗教の違いを超えた「テロリスト」への戦いということになる。

4. 日本のようにキリスト教徒やイスラム教徒の少ない国家はどのようにとらえたらよいだろうか?
宗教的な問題に関与することは避けて、「言論の自由を暴力で抑えこもとするテロ行為に対して断固糾弾し反対するとともに、国際社会と連帯してテロ行為の発生の防止に努める」という基本スタンスが考えられる。

5. なお、言論の自由という旗印が掲げられているので、シャルリ・エブド社の風刺漫画が度を超えた内容を持つものであったかどうかの議論はあまり聞こえてこないが、日本の憲法論議でもしばしば取り上げられる「言論の自由と公共の福祉」つまり「言論の自由は社会秩序をそこなったり個人の尊厳を損なったりすることまでは認められるべきではなく、おのずから制約があってしかるべきだ」という論点も参考になるだろうと思う。
 きわめてデリケートな問題であるだけに、すべての面で慎重に冷静に考えて行動すべきことは言うまでもないが、日本も日本人も国際社会の一員としてなんらかの態度決定を余儀なくされる場合があるだろうから、そういうときのために、頭の体操をしておくことには価値があると思われる。