南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

平山郁夫展

 東京国立近代美術館で開催中の「平山郁夫展」を見た。

 やはり、展示内容は期待に違わぬ充実したものだった。

 全部で83点。四つのパートにわかれていた。

 第一章 仏陀への憧憬
 第二章 玄奘三蔵の道と仏教東漸
 第三章 シルクロード
 第四章 平和への祈り

 1930年生まれの平山は、中学生(15歳)のときに広島で勤労動員の最中に被爆した経験を持つ。それが、彼の原点だろう。

 救いを求める心が仏陀に傾いたのはふしぎはない。
 「受胎霊夢」は、釈迦の母(摩耶夫人)が釈迦を身ごもったときのイメージを描いた作品だ。
 夜空に浮かぶ大きな月の中には白い象が描かれている。摩耶夫人が夢で白い象を見たという言い伝えがあるという。暗い空に、月と摩耶夫人だけが明るく輝いている。このコントラストはその後も平山の絵を貫く特徴だ。

 「バーミアンの大石仏」「トルファンの遺跡」「ガンダーラの遺跡」など、玄奘三蔵のたどった道を追跡した画業は、雄大で、様式美に満ちて、荘厳でもあり、平山の才能が開花したといえよう。なんども現地に足を運んで生で見たものを素材に構想を練っただけに説得力がある。

 中でも、「敦煌鳴沙」と「敦煌三危」は完璧な技巧を示している。

 「ペルセポリスの炎上」では、やわらかなタッチのなかに燃え上がる炎が美しく描かれている。

 「月域月影(パルラミ・シリア)」は、青い夜空に黄色い月が浮かぶという平山得意の幻想美が印象的だ。

 「広島生変図」は、1979(昭和54)年に描かれた。平山、49歳。被爆後34年後だ。
 画面いっぱいに真っ赤な炎が描かれている。中空に不動明王のような姿が描かれてある。なんらかの救いを象徴しているのだろうか。この絵を描かざるを得なかった平山の心境に思いをいたしながらこの絵を見るとなんとも切ないものがあった。

 「平成の洛中洛外図」と「平成洛中洛外図」は、上空から見た、京都の御所や城のようすが描かれている。そこには、現在の市街地のようすもぼんやりと見て取れる。絵の持つ記録する役割をも自覚しているのだろう。

 そのほかにも多くのすぐれた絵が展示されていた。

 平山は、経験した地獄をいかに美に換えられるかという問いを発しながら絵を描き続けてきたのだろう。
 かれの絵は、歴史観に裏打ちされている。彼が遺跡を見るときのまなざしは実にやさしく透徹したものがある。

 炎上する宮殿さえ、様式美にあふれている。滅びるものを見守ることを通じて、平和への祈りを感じ取ったのだろう。

 平山の幻想美・様式美は、まさに地獄とひきかえに手に入れた救いであり祈りであったとあらためて感じた。

 最近、平山の祈りは、平山をまたまたシルクロ-ドへと駆り立てているようだ。

 さまざまな民族や宗教や文化の交流する地域としてのシルクロードを訪れることで、平和への祈りを強固にできるかもしれないと感じたのだろう。

 77歳になって、ますますすぐれた作品を描き続ける平山にエールを送るとともに、ぼくもまた彼とともに世界の平和を祈りたいと思う。