南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

福田康夫総理大臣のこと

 安倍晋三前総理のあとを受けてリリーフピッチャーのような役割を果たしてきた福田総理が突然辞意を表明したことに対しては、概ね、「投げ出し」たことへの責任を追及する意見が多かったと思われる。

 安倍前総理に続いての「政権投げ出し」に呆れたとか情けないとか無責任だとかいう批判である。

 一般的な見方としてはそのとおりだろう。

 しかし、よくよく福田総理の言ったこととやったことを見てみればもう少し暖かな見方をすることができるのではないだろうか?

 ようやく後継者も麻生太郎総理ということが決まり、次の内閣に日本の運命を託すことになった現時点で、福田総理のことをきちんと評価することには意味があると思う。


 私見では、この一年足らず、頼まれて就いた総理としての職務を全力で処理し、それなりの実績を上げたと思う。前にも福田政権についてプラスの評価をしてよいと書いたが、今福田総理が退任するにあたって、振り返れば、やはりよくやったと言ってやってもいいと思う。

 政権担当中は、内外で多くの困難な問題が発生したが、おおむね的確に対応したと言える。

 退任表明の記者会見では、小沢民主党代表との話し合いができないことを退任の理由のひとつに挙げていたが、ねじれ国会で、懸案の処理がなかなか進まないことにいらだちを感じていたのはまちがいなさそうだ。

 あまり指摘しているひとはいないようだが、退任の本当の理由は、「疲れきって、政権運営意欲をなくしたこと」ではないだろうか?

 深層心理を推測すれば、

 ・自分はピンチヒッターあるいはリリーフピッチャーだ。それにしては一年近くもよくやってきたじゃないか!

 ・地味ながら着実な成果だってあげてきた。(これは本人も自負しているようだが)

 ・民主党との関係にはうんざりした。(これは明確に言っていた)

 ・自分の力では政局をうまく切り抜けられない段階にさしかかった(これも本人が述べた)

 ・これ以上総理を続けたら、心身の健康を失うおそれがある。自分は、残された自分の人生を楽しみたい。

 ・このタイミングであれば、周りに比較的迷惑をかけずに総理交代が可能であると考えられる。

  ざっと整理すれば、以上のような感じである。


  総理大臣は、国のために命を投げ出すべきだという意見もあるかもしれないが、そうではないという意見もあるだろう。特に、精神的なダメージは他人には計り知れない部分かもしれない。福田総理は心身ともに限界に達していたのかもしれない。

 そのように見れば、退任はやむをえなかったと言えるだろう。

 退任についていろいろ取りざたがなされるということは、それだけ、総理大臣の職責が重いということだろう。

 いろいろな見方があってもよいと思うが、小生としては、以上のような捉え方をしたいと思う。