南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

デュー・プロセスについて(価Ⅱ=41)

 『 デュー・プロセス 』   (価値観の研究第二部 その41)(価Ⅱ=41)


 金融危機への対策が、内外で鋭意進められる中で、できるだけ早い景気回復が望まれるところであるが、昨今の日本国内の論議で気がかりなのは、法律的な議論が感情論や立法論と混同されていることだ。
 
 たとえば、「派遣切り」が大きく取り上げられているが、マスコミをはじめ、「けしからん」という論調が目立ち、経営者側は口を閉ざしているように見える。
 労働法違反であれば、法律違反としての責任追及が可能だが、適法であれば、社会的・道義的な責任を問うということになる。これはある意味で両刃の剣である。法律を守っていても、多数の世論の声の圧力によって企業が過剰な労働者をかかえざるをえなくなり、倒産の危機に瀕する事態もありうるが、その責任はだれもとれないはずだ。
 
 雇用を守るべきだという主張は正論であり、だれも反対はしない。問題は、企業が経営上雇用を継続できなくなったときに、どのように雇用対策を講じるかだ。今の国会でも、失業手当の支給基準を緩和する措置がとられつつあるが、結局、私企業が手を負えなくなったときに救済できるのは公的な機関しかない。国とか地方公共団体とかである。
 
 そこで、議論は、法律と予算に移る。そして、国会や議会での審議がキーポイントとなる。国会議員や県会議員などの代表者が多数決で物事を決めるという仕組みだ。
 ある制度の改正案が提出され、賛否両論があれば、投票によって結論が出る。
 このように、どんな法律や予算も、適正な手続きを経て決められるというところに、民主主義のひとつの特色があり、美点がある。
 
 テレビの座談会などでは、評論家などがそれぞれの意見を述べるが、それらの意見を踏まえて、法律改正案や予算案を提出できるのは、政府や議員などに限定されている。
 
 現行法に問題があれば改正すべきであるが、改正されていないのに、救済しろというのには無理がある。適正手続き(デュー・プロセス)というのは、声が大きいグループでなくても、国民が平等に扱われるように配慮された制度だからである。
 
 私見では、麻生内閣はがんばっていると思う。しかし、適正手続きの結果として、麻生内閣が退陣せざるを得なくなれば潔くその結果を受け入れるべきだと思う。そして、適正手続きによって、巻き返しを狙う運動を開始すればいいのだと思う。
 
 賢明な日本国民が、冷静に法律論をかわすこと、及びそのことを通じて的確な結論が得られ、わが国の重要な政策が実現することを望みたい。現下の危機的な状況は、感情論に流されている場合ではないと思うのである。解散総選挙もいずれ行われるだろう。ひょっとすると、民主党が政権をとるかもしれない。そしてまた、自・公がとりかえすもしれない。いずれにしても、適正な手続きによって、公明正大な議論を尽くして、最適の政策が決定され、実施されれば、遠からず、景気は回復し、雇用や生活が安定すると信じたい。