南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 詩の批評の批評について 』

 

        『 詩の批評の批評について 』


1.詩は小説ほど売れるものは少なく詩人もまた職業詩人と言えるものは少
ない。それでも詩は書かれ続けており、少ないながらも詩作に心血を注いでいるものもいる。

2.詩をめぐる状況の中で、気になることのひとつに、批評の貧困というこ
とがある。それは、詩誌や詩集についての批評がなされた場合に、その批評が的確かどうかの批評はあまり見られないということだ。
 たとえば、眼力に欠けた批評、気まぐれな批評、仲間ぼめ、盲目的絶賛、生理的嫌悪に基づく酷評、詩人の名前で判断してしまう先入観的批評、などが見られるが、それに対して、きちんとした指摘や論評を加えることはあまりないように思える。無駄だということか、あるいは、社交上の理由か、そのへんの事情はつまびらかではないが、「詩の批評に対する的確な批評」はきわめてまれにしかなされないという現実があると思う。

3.どういう詩が高い評価を受けるべきかどうかの判断は容易ではない。詩
の評価は、科学的な評価とはことなり、主観的な要素がまざってくるから。それでも、可能な限り「詩の客観的な評価基準」を求めることは、詩の向上のために不可欠だと信じる。
 この点については、すでに、このブログにおいて「詩の批評の方法」と題して詩の批評の方法論を書いているのでそちらを参照願いたい。

4.詩の批評の形式としては、詩誌やブログへの批評文の掲載、作者あての
感想文の送付、口頭での伝達といったかたちのほか、合評会とかセミナーとかいったかたちがある。
 それぞれの形式には一長一短があると思う。
 まとまった感想を述べるには、ブログなどがいいし、いろいろな意見を戦わせるには合評会形式がいいだろう。
 批評の形式をうまく組み合わせることでより実りのある詩の批評が実現され、相互のレベルアップにつながることが望まれる。芸術はなんといっても、「卓越を追求」すべき使命を有しているのだから。