南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『接し方』(価Ⅲ=44)

  
               『接し方』

                                    価値観の研究 第三部 その44

 人間は複雑怪奇であるが、ある程度の性向はつかめる。たとえば、どんなふうに接すれば前向きに受け入れてもらいやすいかどうかというようなことである。
 批判的な口調で、「いつも遅刻してくるのはけしからん。今度こそ時間を守れよ」と言われたら、「事情も知らずに一方的に非難するって理不尽だ。やる気がなくなる」ということになりかねないが、「いいんだ、いいんだ。でも、どうしても時間前に来なくちゃいけないときは頼むよね」とか言われれば、「悪かった。もう遅刻しないようにしよう」という気になりやすいだろう。
 あるいは、「またミスをしたな。何度言っても治らない。どうしようもない。おまえみたなのはいらないよ」とか露骨に叱られれば、「だれだってミスはする。自分のミスは棚に上げて一方的に叱りつけるのは納得がいかない。もう協力してやらないぞ」と思うだろう。しかし、「ここのところこうしたらどうかな?それでよければ直しといてくれる?」と言われれば、「あ、そうか。単純ミスだ。こんなミスはもうしないように気を付けよう」と思うだろう。
 また、「ちょっとお願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?実は、今度この町内の住民有志で街をきれいにする活動をすることになったので、お時間があればお手伝い願えますか?」と言うような誘われ方をすれば考えてみようという気になるかもしれないが、「今度この町内の住民有志で街をきれいにする活動をすることになったので、各家庭最低一人は参加してくださいね」というふうに言われれば、反発を感じる度合いも増すだろう。
 どんなふうにアプローチしても断られる場合もあるだろうが、明らかにアプローチの仕方が悪くてひとの気持を否定的にさせるケースも少なくないと思う。
 相手の性格や考え方を可能な限り考慮して、そのときの状況や気持ちを察して、タイミングよく話を持ちかければ、オーケーしてくれる可能性は高まると思う。
 心理学など人間の気持ちや行動を学問的に分析する知見もあるが、多くの場合は、個人の経験や知識を踏まえた「接し方」が大きなカギとなっているような気がする。
 人間関係において、さらにはもっと大きな組織対組織の関係においても、接し方の工夫というのは意外と重要な要素だという気がする。