南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

モーツァルト聴きまくり

 あいかわらずモーツァルトのCDを聴いている。

 そこで感じたことをちょっと書いておきたい。

 モーツァルトは神童とか天才とか言われているが、実際に曲を聴いていくと

 そう単純に割り切れないと思う。生活のために作曲したり演奏せざるをえなかったという事情が

 あったわけだから、つまり、純粋に芸術創造的動機で作曲できたわけではなかったわけだから、

 曲によっては、退屈だったり、平凡だったり、未完成だったりする。

 たとえば、シンフォニーといわれる曲には名曲もあるが、習作的なものもある。

 セレナードとかディベルティメントといわれる曲は基本的には、BGMだから、軽くて内容にとぼしい。それでも、さすがはモーツァルトらしいレベルの高さが見える曲もある。

 オペラはそれ自体エンターテインメントが狙いだったせいか、よくできたものが多い。

 そうしたなかで、ふしぎに深みを感じさせると思われるのは、室内楽だ。

 個人的には、弦楽四重奏とか五重奏曲。

 フルートやオーボエやホルンの三重奏曲、四重奏曲。

 ピアノ三重奏曲、四重奏曲。など渋くてとてもいい。

 かならずしも音楽の専門家の評価とは一致しないかもしれないが、

 モーツァルトの特徴と思われている軽快さとはちがった、深くて渋くて暗くて哀しいまでの美しさもまたモーツァルトのよさだとぼくは思う。

 次第にモーツァルト狂いになっていく自分がこわいような気もするきょうこのごろである。