南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

評論の位置づけについて

 評論家の役割は重要だと思う。

政治評論家。経済評論家。音楽評論家。美術評論家。文芸評論家。いろいろな評論家がいる。

やっている本人が気づかないことをきちんと指摘するひとがいることはたいせつだ。

変な方向に行く前に警鐘を鳴らすこともたいせつだし、
うまく行っていれば、それでいいと後押しをしてくれるとやっている本人が自信をもてていい。

しかし、注意すべきは、評論家が天狗にならないことだ。

評論家は評論されるものより下位の役割なのだ。

なんでも作り出すほうがむずかしいのだ。

詩や小説だって書くほうが評価するよりずっとむずかしい。

音楽だってそうだ。作曲家。演奏家。それぞれたいへんな苦労を強いられる。

美術も同様だ。

政治だって、総理大臣として国をひっぱっていくより、あれこれ批判をすることのほうがずっと簡単だ。

それでも、評論家の存在理由は大きい。すぐれた評論家はそれぞれの分野で重要な役割を果たしている。

自分の置かれた位置をわきまえて謙虚に誠実に的確な評論活動をする評論家が求められる。

すぐれた評論家が育つような環境があることも望まれる。