南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

赤城農相のこと(価Ⅱー2)

 赤城農林水産大臣の辞任については、非難轟々の環境の中で追い込まれた決断だっただろう。

赤城農相を弁護する意見はあまり聞かれない。

わが国のひとつの特徴であり、また、危険な点でもあるといわれるのが、付和雷同型の社会であることだ。

 みんなが反社会的とか、道義的責任を果たしていないとか、非常識だとかレッテルを貼ると、それに異をとなえるのが非常に困難になる傾向がある。

 赤城農相のしたことはほんとうに悪逆非道だったのだろうか?

 事務所経費について、ルールに従った情報公開はした。それ以上のことは義務じゃないことを理由に公表を拒んだ。

 週刊誌に領収書の二重計上が指摘されたり、問題がなかったわけではないだろう。

 しかし、金額から言って、辞任に追い込むほどの不当性があったと見るのはいかがなものか?

 法律やルールは守る義務がある。違法行為はきびしく追及されるべきだ。

だが、ルールにないことを道義的な責任だとして追及するときには、おのずから、限度というものがあるはずだ。

 今回、赤城農相は、

「1・ルールにのっとった処理をしたこと。

2.軽微な誤りはあったことは認めて、是正することを約束したこと。」

を主張しつづけて、最後は半ば強制的に辞表を書かされたようだ。

 途中、顔に湿疹ができたことも、マイナスの印象を強めたのかもしれない。

 参議院選挙の敗戦という不幸も重なって、人身御供的な犠牲を強いられたとも言えよう。

 水に落ちた犬はたたけ!という雰囲気がわが国社会には隠然として(歴然として?)存在している。

 悪者のレッテルを貼られたら大変だ。国民全体が敵になりかねない。

 どんな場合でも、冷静さを失わず、公平中立に判断を下す姿勢が肝要だ。

 そういう自分なりの判断をこころがける国民がひとりでも多くなることが、日本の将来を考えると、

不可欠ではないかという気がするのだが・・・。