本日(H19年11月3日)、サントリーホールで、クリスティアン・ティーレマン指揮によるミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートが開かれた。
演目は、
R・シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」
R・シュトラスス 交響詩「死と変容」
ブラームス 交響曲第一番
これほど見事な指揮ぶりにはめったにお目にかかれない。
ゲルギエフやバレンボイムに匹敵する巨匠としての風格がある。
しかも、まだまだ48歳とかなり若い。
指揮台に飛び上がってみせるのも愛嬌か?
◎R・シュトラウスの音楽は、実にロマンティックで耽美的でエロティックですらある。
しかしそれらは音楽的に浄化されているので、低俗なポルグラフィー的な性格の音色やメロディーではない。
「ドン・ファン」というテーマを扱ってもそこには崇高な愛に生き、愛に死ぬ男の姿と情念が描かれる。
「死と変容」においてもまた、死といういまわしいものが浄化されるステップが、切ないまでの緊張感で息つく暇もないほど鮮やかに描かれる。
交響詩は、リストが創始者だという。リストは、「《ヨーロッパの教養人が理想と考える精神》を、その具体的な内面の経過とともに音楽で表現することこそが、交響詩の究極の目標である。」と考えたそうだ。
そうした精神性に肉体を与えた豊満な音楽を、ティーレマンは完璧に理解し、オーケストラを掌握し、堂々とした演奏によって現在化させた。比較的ゆっくりとしたテンポは崇高でロマンティックな音楽にふさわしい。強弱のつけかたもこれ以上はないほど考え抜かれている。管楽器と弦楽器の調和や対比にも隙がない。ティンパニがあんなに魅力的な楽器に思えたのもはじめてだ。ひとりひとりの楽団員の力量とやる気を引き出し、すみずみまで気を配った細やかさも大胆さとあいまって音楽を精緻な仕上がりにしている。
◎「ブラームスの交響曲第一番」は、なんども聴いた曲だが、ティーレマンの演奏ほど、すべてにおいて完璧な演奏を聴いたことはない。CDで聴くことが多いので他の生演奏との比較をすることができないが、CDと生演奏の違いを考慮に入れても、ティーレマンは別格だと感じる。
ブラームスの交響曲は、ベートーベンほどの強烈さがない。そのため、下手な演奏をすると、間延びしたり、強弱を付けすぎて曲が浮いてしまったり、退屈な演奏になりやすい。ブラームスの長所である、暗くて哀愁を帯びた美しさ、穏やかだがしっかりとした構成力、丁寧に作られたディテール、そういったものが正確に表現するのは意外とむずかしいのだと思う。
第一楽章のはじめから第四楽章の終わりまで、少しも間然とするところのない納得の演奏だった。
聴衆は惜しみなく拍手を送り、なかなか鳴り止まなかった。オーケストラが退場したあと、ティーレマンがたったひとりでステージに出てきて声援にこたえたのを見て、この若くてハンサムでがっしりした体躯の指揮者に親しみを感じるとともに、これからますます「巨匠」としての名声を高めることだろうと確信した。
まれに見る大物指揮者の登場を心から歓迎したいと思い、またそういう指揮者と出会えたことを幸せに感じた。
11月4日も、サントリーホールで、コンサートが行われる。演目は、ブルックナーの交響曲第五番である。ぼくは所要につき行けないが、多くの方々がティーレマンの指揮ぶりをぜひ生でご覧になることを勧めたいと思う。