南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

衆参両院のねじれ国会(価Ⅱ=22)

 連日、マスコミでは、衆参両院のねじれ国会について報道がなされている。

 わが国にとって重要な法案や人事案件が決まらないということは深刻な問題であることに異論はない。

 だが、冷静に見れば、これらはすべて「想定内」の事態だと言えば言える。

 なぜなら、民主党は、反対のための反対をしているように見えるにせよ、合法的な範囲で行動していると見ることができるからである。

 ルールにのっとった反対行動はそれなりの政治的な狙いを持っていると見ることができ、いたずらに批判すれば言いというものではないと思う。

 日銀総裁の問題は、現行制度に問題があることをあらわにした。制度改正を検討すべきであろうが、直ちにはできないので、ねばりづよく折衝するしかないと思う。

 それにしても、武藤氏のあとに田波氏を推薦してきたのは、与党にも読みの甘さがあったかと思われる。もっと承認をえやすい候補者を選ぶべきだっただろう。

 ガソリン税暫定税率も同様である。民主党の動きを見れば、安易な妥協をする気がないことは明白である。

 衆議院で再可決する手がないわけではないだろうが、更に混乱を深めるので慎重であるべきだろう。

 こういう情勢下では、与党のサイドも従来とはちがった振舞い方が求められる。それが的確に行わなければ、政治的な混迷はいよいよ深まるおそれがある。

 おそらく、民主党の小澤一郎代表は、長年の野望実現のチャンス到来と見ているに違いない。つまり、このねじれをテコに政権を手に入れようと画策しているはずだということである。

 それには、国会運営をデッドロックに乗り上げさせ、衆議院の解散に追い込むのが最善であろう。

 一種の「賭け」に出ていると見ることができるだろう。

 民主党も国民の信頼を失うような愚挙には出られないだろうし、与党もまた、可能な限り、政策の実現のために与野党の合意形成の努力を進めるだろう。

 今後の展開は読みにくいが、国会議員に英知と責任感があれば、過度に心配する必要もないかもしれない。

 いずれにしても、マスコミがあおりたてるような混迷にあるわけではなく、それなりの合理性の中で観察可能な現象であることに留意すべきだろう。

 もし、ルールさえ無視した暴力的な行動が出てくれば、国民は立ち上がるべき時が来たと言ってよいだろう。

 総選挙になれば、国民が重大な責任を負うことになるわけだから、慎重に事態を見守り、適時適切に意見を表明すべきだろう。