南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

村上春樹「1Q84」を読む!

     

村上春樹1Q84』を読んで」



1.小説「1Q84」は、Book1と Book2の二巻からなり、それぞれ24章からなっている。主人公の、女性=青豆と男性=天吾が交互に登場するという構成がとられている。

 なお、「1Q84」というタイトルは、有名な、ジョージ・オーウェルの小説「1984」を下敷きにしているらしい。


2.青豆と天吾は、千葉県市川の小学校3,4年のときに同級生だった。特殊な家庭環境に育った二人は親しく話したこともなかったが、あるとき教室で青豆が天吾の手を強く握ったことがあった。その後二人は離れ離れとなったが、いつまでもそのときの記憶が失われなかった。

① 青豆(あおまめ)のストーリー

 青豆は、「証人会」という宗教活動を熱心に行う両親のもとで育てられたが、耐え切れず家出した。体育大学を出た後、企業のソフトボールの選手をしたあと、フィットネスクラブのインストラクターとして勤務している。

 親しかった友人環が夫の家庭内暴力に苦しんで自殺したという経験があった。
 フィットネスクラブのお客である老婦人も同様な事情で娘を失ったことがあったので、男の家庭内暴力に強い憎しみを抱いていた。

 老婦人は金持ちで麻布の柳屋敷と呼ばれるところに住んでいた。用心棒のタマルは実にしっかりして頼りになる男だった。老婦人は、家庭内暴力に苦しむ女性のために駆け込み寺のような施設を運営していた。

 青豆はそこへ出張してマーシャルアーツの個人レッスンをすることになったが、老婦人から、あくどい男を殺す仕事を依頼されて引き受ける。青豆は神経のつぼを熟知していて首筋の急所にアイスピックのような凶器を突き刺して人を殺すことができた。

1Q84」の冒頭は、渋谷のホテルに宿泊している男を殺すためにタクシーに乗っていた青豆が、首都高速3号線が渋滞していたので、運転手に教えられて非常階段から降りるところが描かれる。そして、首尾よく殺害する場面が息を飲むような緊迫感を持って描かれる。その頃から、青豆は、月が二つ上がっているのに気づく。「1984」から「1Q84」の世界に移ってしまったらしい。

 青豆はときどき行きずりの男を引っ掛けてセックスを楽しんでいたが、偶然知り合ったあゆみと意気投合して二人で男漁りをするようになる。
 実は、あゆみは警察官だった。いずれ付き合えなくなる運命だったが、あるときあゆみはホテルで無残な殺され方をする。

 青豆は、あるとき、「さきがけ」という宗教団体のリーダーを殺してほしいと頼まれて引き受ける。

 都内のホテルに呼ばれた青豆は、リーダーとの息詰る哲学問答をかわしたのち、ついにアイシピックでリーダーを殺害する。
 
 その後、青豆は、身を隠すためにひそんでいた部屋から、偶然、児童公園の滑り台の上で二つの月を見上げる天吾を発見する。迷った挙句児童公園に行ったときにはすでに天吾はいなかった。

 どうしようもなくなった青豆は、首都高の非常階段のあった場所へ行こうとタクシーに乗る。しかし、行ってみるとそれはなかった。「1Q84」から「1984」への通路はないらしかった。

 青豆は。かねてタマルから手に入れていた拳銃を自分の口に突っ込んで発射させる。

② 天吾(てんご)のストーリー

 川奈天吾は、NHK集金人の父親に育てられた。
 一歳半ごろ、母が白いスリップ姿で父以外の男に乳首を吸わせている場面が、鮮明に記憶に残っている。

 天吾はやがて家を出て、剣道選手としての活躍により高校、大学をなんとか卒業して、予備校の数学の講師になった。少年の頃は数学の神童といわれたが、もはや数学で名を成す野心はなかった。そのかわり、小説を書こうという気がわいてきて、文学賞に応募するようになった。そこで知り合った編集者の小松から、新人賞に応募してきた「ふかえり(=深田絵里子)」の小説「空気さなぎ」を書き直してほしいと頼まれる。ストーリーはいいが、文章が拙いからだということで。

 迷った挙句、天吾は引き受けるが、ふかえりは、センセイ(=戎野先生)というひとに会ってほしいというので、二俣尾まで一緒に会いに行く。そこで、天吾は、宗教団体「さきがけ」や「まほろば」のことを聞く。また、深田保というさきがけのリーダーが戎野の古い友人であり、ふかえりはその娘であること、ふかえりは七年前に戎野のところへ身をよせたことなどを知った。

 ふかえりは、「空気さなぎ」という小説に「さきがけ」という共同体の暮らしで経験したことを書いたようだった。戎野も天吾が書き直すことに同意したので、書き直し作業にとりかかった。その小説は、新人賞を取りベストセラーになった。

 しかし、「空気さなぎ」に出てくる「リトルピープル」なる存在が、ふかえりが小説に書いたことを怒ってさまざまな攻撃をしてくることになった。天吾もまたそれに手を貸した者として、狙われる破目に陥った。

 あやしげな団体の牛河という男が天吾のもとを訪れて「才能ある若者である」天吾に助成金を交付したいという申し出をする。どうやら、リトルピープルとのつながりがあるらしく、脅迫じみた感じがする。
 しかし、天吾はそれをことわった。

 天吾は、しばらくぶりに、千倉の療養所に入院中の父親を訪ねる。そこで、話をするがあまりかみ合わない。それでも、父が実の父親ではないらしいことがわかる。

 天吾には、毎週金曜日に天吾の部屋にやってくる年上の人妻がいた。それが急に、夫からの電話により来れなくなったという知らせが入る。

 しばらく身を隠していたふかえりが天吾のもとへやってくる。そして、金縛りの状態で天吾はふかえりと交わる。

 天吾が外出して児童公園に行き滑り台の上から二つ浮かんだ月を見上げる。青豆と会いたいと思いながら。そのとき、青豆もまた、自分の部屋から天吾の姿を発見する。しかし、青豆が来たときには天吾はもういなかった。

 千倉の療養所からの連絡で父親が昏睡状態だということなので、天吾は千倉に行った。そこで、天吾は昏睡状態の父親に向かってこれまでの身の上話を語る。その後、検査で空いたベッドの上に、天吾は「空気さなぎ」を見る。その中に、十歳の少女つまり青豆の姿を見る。それはやがて消えてしまった。

 天吾は、帰りの電車の中でなんとしても青豆を探し出そうと誓うのだった。

③ このように、主人公の青豆と天吾は、運命的なカップルながら、ついに直接会うことはないままBOOK2は終わる。しかし、運命に翻弄される人間にとって、愛する対象がいるということがなによりの救いであるという村上春樹の心の叫びが聞えるようで、胸に迫る。

3.「1Q84」がすぐれている点

① ストーリーの展開のうまさ

  第一章で青豆が首都高の避難階段を使って地上に降りるところの描写は秀逸であり、設定も意外性十分で、読者を、ハリウッド映画のように物語に引き込んでしまう。

② 人物造形のうまさ

  個性的な登場人物がそれぞれの特徴を明確に書き分けられている。マンガのような誇張やデフォルメはあるが、人物像がくっきりと浮かび上がるテクニックは相当なものだ。
たとえば、青豆が顔をしかめる癖、牛河のいかにもどんくさい風貌や服装など。

③ 会話のうまさ

 登場人物ごとに話し方に特徴を持たせている。たとえば、ふかえりの疑問符がなく舌足らずの話し方など。

④ トリック、小道具、引用のうまさ

 首都高の非常階段、青豆のアイスピックのような凶器、ヤナーチェックシンフォニエッタ、ジャズ、映画俳優、拳銃、平家物語マタイ受難曲チェーホフのレポート「サハリン島」、短編小説「猫の町」、など。

⑤ エンターテインメント性

  随所に、誇張、ユーモア、スリル、セックス、暴力、恐怖、アイデア、トリックなどがちりばめられていて、読者を楽しませる物語としてのサービスに配慮がなされている。

⑥ 巧妙なファンタジーの活用

 「1984」に対する「1Q84」、二つの月、空気さなぎ、リトルピープル、「さきがけ」のリーダーの超能力、など空想の世界が現実の世界と重なり合って存在しているという構造。

⑦ 歴史的な事件や事実を踏まえた物語の創作

  オウム真理教浅間山荘事件など史実についての深い認識に裏付けられた創作によって、物語にリアリティを持たせている。

4.「1Q84」の問題点

① BOOK 2 の第十五章で青豆が「さきがけ」のリーダーを殺害するところまでは「リアリズム」の範疇に収まっていると思うが、それ以後のストーリーの展開は「ファンタジー」の範疇に移ってしまったと思う。

    ・ ふかえりの小説「空気さなぎ」のストーリー紹介
    ・ 二つの月
    ・ 青豆が首都高で拳銃自殺
    ・ 昏睡状態の父親を訪れた天吾が、検査で空けていたベッドの上に、「空気さなぎ」を発見し、その中に、10歳の頃の青豆の姿を見る。

 このような展開は、「バルザックのような社会派リアリズム」「新しいリアリズム」を目指した村上春樹の意図とは違った方向に行ってしまったのではないだろうか?つまり、リアリズムで終始するはずのストーリーが最後にファンタジーに転換されてしまうということだが。その必然性がいまいちわからない。

② 上記①に比べるとマイナーな点だが、冒頭、青豆が乗ったタクシーの中で「ヤナーチェックシンフォニエッタ」が流れるのを聴くという場面があり、天吾が高校時代にブラスバンドティンパニを奏したことがある曲だということがあとでわかるが、こんなマイナーな曲が重要なテーマソングのように使われる事にはやや無理があるように感じられる。

③ また、登場人物の特徴をかなり戯画的に誇張するという点については、小説におもしろみを与えるという効果を持つと同時に、「リアリズム」の切迫感をそぐおそれもあると感じた。


5.今後の見通し
 
 新聞報道によれば、村上春樹は、今、「1Q84」のBOOK3を書き続けているそうだ。来年にでも、BOOK3が出版されれば、以上に述べたような疑問点への答えが得られるだろう。どのようなストーリーが書き継がれるのか興味津々である。できるだけ早くBOOK 3を読めるように首を長くして待っていたい。