南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『希望』(価Ⅲ=50)

 

              『希望』(価Ⅲ=50)


                               価値観の研究第三部 その50


1. 人間についてさまざまなことが研究され解明されたことも多いがまだまだ未解明のことも多い。そういう不完全さは人間につきまとう永遠の条件だろうから、あいまいな情報に基づいて自分のかけがえのない人生を送っていくのが人間の宿命である。理屈でわからないことは、わからないままにしておくか、経験的な情報を参考にして一応の判断をするしかないだろう。

2. 人間の一生は、気が付いたときは生まれていて、死ぬまで否応なく生きざるを得ないというものだ。
生きがいは生まれながらに与えられることはなく、自分で見つけ出すしかないものだろう。
人生には多くの艱難辛苦が待っているが、汝を玉にしてくれて、生きる歓びを与えてもくれるだろう。
喜怒哀楽,人間万事塞翁が馬生老病死、禍福はあざなえる縄のごとし、等々の言葉によく表されているように、人生は悲観するだけでもないようだ。
いろいろな境遇や立場の人間がいるが、それぞれの状況に応じた「希望」というものがあればいいと思う。

3. たとえば、事故で身体に重い障害を抱えているひと、末期がん患者など重い病気で死期が近づいている人、様々な事情で路上生活を余儀なくされている人、わけあって死刑判決を受けて服役中の囚人、などなかなか希望を見出しにくい状況に置かれた人々もいるが、そういう人々にもなんらかのきっかけで希望が持てたらいいと思うし、それほど深刻な悩みを抱えていない人々であっても、うつ状態になって、前途を悲観するということはあるだろうから、そういう苦しみから解放されて希望を持つヒントでも与えられれば救われるだろう。

4. 残念ながら、小生は精神科の医師でもないし、宗教者でもないので、「希望」を持つ方法を示すことはできない。ただ、ひとつだけ、言えるとしたら、「希望」は自分ひとりだけでは見いだせないということである。希望は、他者との関係においてしか生まれてこないものだと経験的に思う。不完全で欠点も多く持っている人間だが、そういう人間同士が触れ合うことによって、喜びの感情は生まれるし希望も湧いてくると思う。よくもわるくも人間は社会的な存在であり、動物であるから、人と人とが接し合って脳を十分に機能させることで心身のバランスを維持できる性質を持っているように見える。

5. 要するに、人間が「希望」を持ち続ける秘訣は、他人と付き合うことにこそあるということではないだろうか?