南原充士『続・越落の園』

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尾久守侑詩集『悪意Q47』

尾久守侑詩集『悪意Q47』(思潮社刊)について(感想)


   JK(女子高生)がひとつの通奏低音となって流れているところが特徴的だ。そこには若い女性歌手のグループから受けるような甘酸っぱいムードが充満しているので読者は浮ついた精神状態になって詩作品の展開を追うことになる。そして意外な場面転換に接して大いに驚き面白がることになる。

 たとえば「日向坂の敵討」は、女子高生のダンスと忠臣蔵の敵討が重なったイメージが痛快である。また、「Sauve qui peut」は、奇想天外な設定とストーリーにあっけにとられるが、「生き延びよ。」という船長の言葉に救いがあっていい。ちなみに、sauve-qui-peut(ソーヴキプ)は、フランス語で「退避せよ」と言う意味らしい。

また、作者が悪ぶって見せたとしてもどこかまじめな性格がにじみ出るような感じがして、むしろそれが読者には共感できるところだと思う。

 そうしてまた、詩人として言葉へのこだわりが強いことがうかがわれ、言葉と現実のギャップを上手に埋めるためにある種のファンタジーの手法が採用されているように思われる。言葉は現実と拮抗するが、劇的な仕掛けが現実を溶かして甘酸っぱい仮想世界を作る。そして現実を突き抜けて仮想空間にワープしてしまう爽快さが読者を喜ばせる。

 冗長で退屈な作品も少なくない現在の詩の状況の中で、尾久守侑のように幻想と笑いをたしかに作品化できる技量を持った若い詩人の存在は貴重であり、今後益々の活躍を期待したい。