南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

タブー

よのなかにはタブーというものがある。

表現の自由とタブー。

宗教と芸術表現との関係がその代表例だ。

キリスト教徒でないと、キリスト教にかかわる音楽はよくわからないし、没頭しきれない。

たとえば、ミケランジェロ最後の審判は人類史上まれに見る傑作だと思うが、キリスト教をはなれて純粋な芸術として鑑賞することはなかなかむずかしい。

イスラム教しかり。ヒンズー教しかり。仏教しかり。

バッハの音楽も神々しいかわりに、多くの教会音楽を書いている。
マタイ受難曲やその他の受難曲、カンタータなど。

きれいな音楽だと思っても、キリスト教にかかわる部分をどのように受け止めたらいいか迷うことがある。

個人的には、やはり、人間の観点から描いた芸術が基本になるべきだろうと思う。

それでも、いろいろな利害関係があり、立場上の制約もあり、意見の違いもある。

適正手続きで物事が決まるのであれば問題はないが、

そうでないばあいもあるだろう。

この問題はややこしし、根が深い。したがって、あまり真正面から追求するのを避けたいという声が強い。