南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

言葉はむずかしい

 言葉はむずかしい。
とらえどころがない。
常にかわっていく幻のようなものだ。
いまはっきりとききとれる言葉も
時が過ぎると古語になり理解されなくなる。
ましてや方言ともなると外国語に近い。
標準語というものがある。
アナウンサーや俳優(きちんと訓練を受けた)が一応標準語のプロだろう。
テレビドラマや映画を見ても10年も前のせりふは古臭く感じる。
自分が経験してきたのにである。
録音技術や機器の発達のせいもあるかもしれない。
いずれにしても言葉は風の前の塵のように不安定なものだ。

 日本語でさえいろいろとややこしいのだから、外国語ともなると余計複雑だ。
英語はそれなりにわかるつもりだが、ヒアリングとなると正直よくわからない。
文字で見れば簡単なことが耳で聞くと暗号解読みたいな不透明感がある。発音というのは
独特な要素があり、微妙な部分があって、聞き分けるのは難しい。
文字ならそこそこに理解できる英語でさえそんな感じなのだから、ましてやかじった程度の
外国語ともなると、ほとんど聞き取れない。
 フランス語をかじっているが、実際にフランスに行ったときに全然しゃべれなくて連れ合いに
ばかにされたことがある。イタリア語もかじってみたが、実際にイタリアに行って使えたのは、ボンジョルノとグラツィエぐらいで、これまた連れ合いにばかにされた。ロシア語もかじったことがあるが、もう忘れたしまった。ロシアに行ったことはないが、もし行ったとしても同様なことになるだろう。

 それでも、外国語をかじることはおもしろい。違った発想や言葉のリズムや文法が興味を引くのだ。
文学にかかわっているせいもあるだろうが、外国語を知るということは、外国や外国人のことを知ることにつながる。歴史や文化を知ることにもつながる。

 そういう意味で語学はむずかしいけれど、かじりつづけたいと思っている。