南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

朝青龍問題(その2)(価Ⅱ=7)

 再び、朝青龍問題をとりあげてみよう。

 こういう具体的な問題に対して関係者がどう対処するか、マスコミがどう報道するか、国民がどう受けとめるか、といったことをスタディするにはいい材料だ。

 本件は、よちよち歩きながらも方向としては、いい方向に進んでいると思う。
 まず、朝青龍の責任問題だが、怪我をしたという診断書に基づいて巡業に不参加だったことは事実であり、責めはない。その間にサッカーをしていたことについては、本来はルール上の問題ではない。道義的な問題だ。相撲はとれなくてもサッカーはできるかもしれないし、相撲協会の規定にもこのような場合についての明確な禁止規定はないという。だから、一種の社会常識でしか判断できない。しかし、社会的な影響の大きさを考慮して、相撲協会では、なんらかの処分をする必要に迫られ、協会の一般的な規定に基づき、理事会で、二場所出場停止、謹慎処分を決定したことはやむをえなかったし、手続き上正当であろう。これも反対意見があったとしても結論は認めざるを得ない。
 朝青龍うつ病らしき状態になってからのことがいろいろ取りざたされているが、病気のことは医者にまかせるという協会の判断は正しい。もうすこし迅速に判断が下されればベターだったと思うが、前例のないことだし、各方面への影響の大きさを考えれば、慎重な検討がなされる必要があったのだと思う。
 医師の判断を尊重してモンゴルへ帰っての治療がはじまったようだ。とりあえずここまではよかった。

 「甘やかしすぎだ」という意見も多く聞かれる。道義的にはそうかもしれない。だが、朝青龍はモンゴル人だから、日本人の考え方をそのまま当てはめることはすべきではない。言語や習慣や文化の違いを踏まえて対処すべきである。親方の指導にも不十分な点があったようだし、相撲協会の処分にも内容的には疑問が残るだろう。相撲協会の保守的な体質が問題として浮かび上がったともいえよう。

 感情的な面を除けば、いちばん問題は、朝青龍の功績が正当に評価されていないことではないだろうか?

 長期間、ひとり横綱として優秀な成績を収めつづけたことはもっともっとほめられていい。相撲は強いのが一番だ。先場所も朝青龍が優勝したのだ。その朝青龍を二場所も出場停止にするなんて観客無視の決定だともいえよう。

 外国人の力士がこれだけふえたのだから、相撲協会も指導方針やさまざまな慣習を見直す必要がある。

 朝青龍は、せっかくの機会だから、精神面もまた肉体面も含めて完全に治してからまた勇姿を見せてもらいたいと思う。

 力士のあるべき姿、外国人力士の適切な処遇、協会のあるべき姿、国民に愛される大相撲の発展、マスコミの報道姿勢など見直すべきことは多い。

 今回の事件をよい教訓として、相撲界がいい方向に向かって改革に取り組んでくれれば、幸いだと思う。