南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 死への道筋 』(価Ⅲ=15)

 

          『 死への道筋 』

                             価値観の研究第三部 その15

1.人間の死に方はさまざまだ。老衰、自然死、病死、事故死、自然災害による死、犯罪による死、決闘やケンカによる死、無差別殺人による死、テロ、戦争、戦闘、内乱等による死、刑死、虐殺、自殺、心中など。

 病死にも、脳こうそく、心筋梗塞、がんなどさまざまなケースがある。

 自然災害にも、台風、地震、高潮、津波、大雨洪水、地滑り、地割れ、地盤沈下、なだれ、竜巻、隕石落下などいろいろな場合がある。

 事故死にも、交通事故、転落事故、墜落事故、落下事故、水死、衝突、挟まりなどいろいろな形態がある。

2.すべての人間が、自宅で穏やかな死を迎えることができるわけではない。
突然死、不慮の死、不遇の死といった痛ましい死を迎える人間も少なくない。

 しかも、どんな最期を迎えるかは、運命による要素が強いと思われ、人間の努力には限界があると思われる。

 もちろん、できるだけ事故に遭わないような配慮や病気にならないような健康管理に努めることは無駄ではないだろうが、非情な運命をどれだけ左右できるのか定かではない。

3.死の時期やタイミングがなんらかの兆候としてあらかじめ示されることは少ないと思われる。重い病気に苦しむ人間が徐々に病状が悪化して死に至ると言うような場合はある程度想定内だと言えるだろうが。

 多くの場合、個々の人間はいつ死ぬかわからないまま生きている。余命宣告されないことで、比較的落ち着いた心的状態で過ごせると言うメリットがあるだろう。

 だれでもいつかは死ぬのだが、すぐには死なないというのは極めて大きな安心を与える材料だろう。あいまいさの意義は大きい。